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レストラン映画に学ぶインテリア・5 形から入ることの効用

久しぶりにレストラン映画を見た。楽しみました。やっぱりレストラン映画はいいなあ。厨房もホールも、そしてもちろん料理も眼で楽しむことができます。

映画は、『二ツ星の料理人』(2015)

パリの二ツ星レストランを追われたシェフが、ロンドンで再起をかけて働き始める。料理人としては最高だけれど、人間的には自己中心の男。その天才が自身が二ツ星止まりである理由に気付き、仲間との絆を結んでもう一度夢を果たすことに挑むというものです。


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で、厨房がすごい。驚きました。何がって、その設備機器類の磨かれ方。ステンレスは鏡面仕上げと言っていいくらいに光っている。お鮨屋さんの包丁と同じです。これを見るとうっとりして憧れるのです。 それにしても、この 「二ツ星の料理人」の厨房のステンレスの仕上げ、光り方は見たことがない気がする。

ぼくは、インテリアの好みについて言えば、ショウルームのような片付き過ぎた空間よりは適度に散らかっているくらい方が好きなのですが、調理道具や厨房の設備機器類は別。たとえば、包丁はなんといってもお鮨屋さんのものにとどめを刺す。そこには一点の曇りもない。ほんとうにぴかぴか。これを実現しようとして研いでみるのだけれど、全然だめです。切れ味は於くとして、光り具合はまったく違っていて、似ているとさえ言えません。なぜなのかね。何か魔法でもあるようです。


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ともあれ、厨房もこれと同じであって悪いはずはない。清潔で、よく手入されピカピカに磨き抜かれた道具や設備は、そこで働く人の姿勢を示すものとして最高です。なにより、見ていて気持ちがいい。仕事のよくできる人の机と同じ(ああ、恥づかしい)。

考えてみれば、一流の店の美しく整えられた機器類、清潔で整理整頓が行き届いた厨房というのはごくアタリマエのことで、仕事場のありように気を使わないでよい料理、そして美しい盛りつけができるはずがないのです(いずれもが、それぞれに対する関心のありようを示しているのだから。言うまでもないことですが、豪華さとは別の話しです)。

そして、もちろん盛りつけが美しいのはこの映画でも変わらない。


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料理のプロセスを見るのも楽しいけれど、これを盛りつける様子もレストラン映画を見る楽しみのひとつです(ホールのインテリアも見所だけれど、これはまた別の機会に)。なんと言っても、美しい盛りつけはおいしそうに見える。食べる人を喜ばせてやるぞという作り手の、そこに込められた思いやエネルギーが直接伝わってくるようです。そして、卓上のアレンジメントも。

とすれば、ちょっと飛躍するようだけれど、そしてたまに例外はあるとしても、まずは形から入る、あるいは形を整えることに腐心するというのはとても良い方法のように思えるのです。

さあ、まずはカタチを整えましょう。
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レストラン映画に学ぶインテリア・4 料理の仕上げは後片付け

やっぱりひと月以上開いてしまいました。時々あたたかな日も混じるようになり、いつのまにか春も近くなってしまったようです。時の経つ早さに驚かされてしまいます。 で、久しぶりに、レストラン映画に学ぶインテリアを。

最近は、映画は比較的よく見るのです。しかも、スクリーンで。残念ながら、映画館ではなく家での話しですが。大きい画面はいいですね(部屋の大きさとプロジェクターの性能のせいで、70インチくらいかしら)。ピントもやや甘いようだし(これもプロジェクターの性能のせいか)、音もしょぼいのですが(こちらは借家のアパート住まいのせいも)。いずれにしても、道具立ては安物ばかりだし、映画を見る環境としてはプアと言わざるを得ないのですが、それでも、映画を見ているという気分になることができるのです。


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というわけで、今回取り上げるのは「マーサの幸せレシピ」。この映画は2回目ですが、今回はインテリアというより片付けの話しです。地味な話題ですが、毎日の生活を気持ちよく過ごすためには避けて通れません。マーサがシェフを勤めるレストランでは、営業が終ったあと台所の機器を拭き上げてきれいする場面が出てきます。このこと自体は目新しいことではなく知ってはいたのですが、映画をみていて、今さらながら改めて思い知らされたのでした。これを毎日やるから、彼らはおいしい料理を素早く作ることができるのにちがいない。汚れていたら、衛生的ではないのはもちろんだけれど、気分も乗らないはずです。そのことは食べる方にとっても同じことで、汚れたエプロンを平気で着けた料理人のいる店は論外という気がします。

言うは易く、行うは難し。いざ、これをきちんと実践するとなると大変そうです。たしかに面倒だと思うけれど、汚れがたまったあとできれいにしようと思うと、その労力は何倍か、何十倍か、あるいは何百倍かになるのは自明です。そのことは重々わかっていながらやらないということが多いのですがね(僕の場合)。魔法はない。当たり前のことを当たり前にやらないと手に入れることはできないのだよ。

これからはちゃんとやろう(本日ただいまの誓い)。生活は毎日の積み重ねなのだから。きわめて当然のことですが、映画はこうしたことをごく自然に教えてくれます。


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さて、マーサは職場の厨房だけではなく、自宅の台所もきれいに整えています(しかも、以前にも書いたかもしれませんが、冷蔵庫の上に置かれたワインやら調味料の瓶からもわかるように、ただ整然としただけの冷たい台所ではない)。ある時、彼女は、姪のリナの提案でやってくることになった同僚のマリオとリナの二人が作った料理を食べながらそれまでにはないほど楽しい時を過ごすのですが、途中で覗いた台所の散らかりよう汚れように驚いて顔をしかめます(マリオに支えられて、何度も深呼吸をしなければならないほど)。もちろんその後も楽しく過ごすのですが、しかしいつのまにかきれいに片付けられています(これも習慣のおかげですね)。男が料理するのはいいけれど、そのあとがちょっとねと言われることが多いのもうなづけます(でもね、実はこれも思い込みのような気がするのだよ)。

ともあれ、家が片付いていないと(それぞれの家で幅があってよいのだけれど)、快適で美しいインテリアはそもそも存在しえないのですから。

さ、さっそく片付けに取りかかりましょう。気持ちよく暮らすための舞台を整えるために。

寅さんに学ぶ住まい学・07—タコ社長は裏からも入ってくる

とらやはお店ですから、道に面したところは基本的に開いています。ふだん、お客はここから入ってきます。ところが、裏はどうなっているかというと、ここも木の塀があるものの扉がついていて、朝日印刷の社長や博はここからもやってくるのです。つまり、車家やとらやは文字通り、お隣とつながっているということです。


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第6作「男はつらいよ 純情編」裏から入ってくるタコ社長

皆さんは、ええっと言うかもしれませんね。マンションはもちろん、今では一戸建ての住宅だってしっかりとお隣と区画されているのがふつうなのですから。でも 第6作「男はつらいよ 純情編」(1971) では、隣家との間に建てられた塀には扉が開けられており、ここからタコ社長が寅さんのところ車家へ駆け込んでくるのです(庭でこれを迎えることになった若尾文子も驚いているけれど。ま、若尾さんはタコ社長をずっと知っているわけではないのですから、しかたありませんね)。

しかし、こうした関係は映画の中、古い時代の出来事というばかりではありません。 たとえば、今でも在学生が住む伊勢原では各家の周辺には塀がないのでお互いの生活が見通せると言うし、 僕が10数年前に設計した辻堂の家では隣との境に何本かの木が植えられているだけで出入り自由だったのです(それにしても、住宅の仕事はずいぶん長い間ないなあ。うーむ)。

だから、お客は玄関から入ってくるだけではありません。とはいうものの、今では実際に裏から人が入ってくるような家はもう少ないかもしれません。 しかし、 裏側を見られる機会は多いはずです。住宅地ではたいてい、宅地が背中合わせになっていることが多くて、とくに南側の道路に面した住宅の背面は、日当りを求めるその北側に接して建つ住宅からは常に見えるのです。したがって住宅は、表側はもとより裏側のたたずまいにも気を使わなければなりません(このことは、すべての建物に言えることです)。もちろん側面も同じことですが、都市部では隣接しすぎていてほとんど見えないことが多いのです。

さらに言えば、住宅の外観は住み手(あるいは建て主)のものであると同じくらい、周辺の人々のものであるとも言えるはずなのです。せっかく気持ちのいい家に住んでいたのに、ある日突然、新しく建った気に入らない、あるいは見たくないような家の裏側を毎日眺めながら過ごさなければならないなんていうのは御免でしょう。

自分のこととなると、ついこうした他者への気遣いができなくなってしまうというのはどうしたことだろう(こんな気配りこそが、かつては日本人の美徳として言われていたのではあるまいか。でも、今では自分本位、利益優先があちらこちらで目につくようになった気がします)。


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第 26作「男はつらいよ・寅次郎かもめ歌」 隣家と近接した窓

そういえば、第26作(1980)でさくらと博が購入した新居では、裏側こそ出てこなかったけれど、お祝いにやって来た寅さんが窓を開けるとすぐお隣の窓と接していて気まずい思いをする場面がありましたね。


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1. k house 設計:横山敦士 2001

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2. sg house 設計:横山敦士 203

上に示した住宅の1は、行き来するというような関係はあきらめて、その代わりに元は一続きだった背後の住宅との視覚的つながりをつくりだそうとして勝手口側に大きな開口部をとっています。2では、お隣との積極的に関わることはもはや無理なのだから、後ろの家から常に見られることになるサニタリは天窓と高窓による採光によることにして、すっきりとした景色を提供しようとした例です(もちろん覗かれることのないようになっています)。

ともあれ、正面だけではなく、背中まで気を配らなければいけないのは、たいていの人が関心を持ち、気を使っているファッションと変わるところがないと思うのです。なにも住宅が特別、ということじゃないということです。

寅さんに学ぶ住まい学・06—車家のプライバシーの守り方

なかなか更新が進みません。せめて1ヶ月に一度、トップに広告を載せられる暇がないくらいのペースで書ければいいのですが……。そのためには、公開順に見よう、できるだけ異なった作品を取り上げようといった形式主義は、ひとまず忘れた方が良さそうです。忘れなければなりません。

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第6作「男はつらいよ 純情編」とらやから見える車家の茶の間

さて、車家は通りに面するお店に併設される古い木造住宅ですから、壁よりも開口部が多くなっています(日本の伝統的な住宅と同じです)。それでは、プライバシーはどうして守るのかと言えば、ガラス戸や障子・襖といった伝統的な可動間仕切りの開閉によるのです。店と茶の間の間さえも障子だけです。

あなたの家ではどうなっているのでしょう?たぶん不透明な壁とそこに取り付けられたドアがあるというのが多いのではないでしょうか。すなわち、車家の可動間仕切りとあなたの家のドアとでは隣接する部屋同士、空間同士の関係が全く異なります。

障子や襖は開けたままにしておくことが容易にでき、2つの部屋を繋いでひとつの空間とすることも簡単です。これに対して、ドアは明けっ放しにしておくのがむづかしかったり場所塞ぎになりやすいだけでなく、つながる部分の面積も小さいのです。

時代が新しくなるにしたがって、プライバシーに対する要求は高まり、ドア1枚で他と隔離できる作り方が重宝されて、多数を占めるようになりました(寅さんのシリーズでは、こうした家はあんまり登場しませんね)。プライバシーを確保できるのはありがたいのだけれど、物事にはプラスがあればたいていマイナス面もあるという例に違わず、失うものも当然あります。

なんといってもコミュニケーションの機会が減るでしょう。われわれは一人でいることに慣れると、自分の部屋から出るのが億劫になりやすい(たいていの場合、人は楽な方を選びたがるものです)。まして、現代の個室のようにテレビ、ステレオやエアコンのように居心地を良くする設備ばかりか、パソコンやスマートフォンといった居ながらにして外部とつながることのできる端末機器があるならば、これらを置いてリビングルームや食堂に出向くのはますますむづかしくなりそうです。それで困らないうちはいいのですが……。

これに対して、わが国の伝統的な障子などの軽いによる間仕切りはたとえ閉じていても、気配は感じることができる。おまけに、障子は和室にはもちろん洋室にもしっくり来るのです(ただ、音の問題など完全にプライバシーを確保することはできないのですから、すべてをこれで通すには無理な場合もあるかもしれません)。

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第6作「男はつらいよ 純情編」寅が伏せる部屋入る若尾文子

店や茶の間、茶の間と土間の間には障子が立て込まれていて、必要に応じて開け閉めすることによってプライバシーとコミュニケーションを切り替えています。音の問題については、ふだんは聞こえても気にしないようにしようという暮らし方(物理的ではなく、暗黙の了解によるというもの)ですが、第6作「純情編」では、寅を心配した若尾文子は「ごめんなさい」と声を掛けて、「はい」というさくらの返事のあとで部屋に入ります。

さらに言えば、住宅を居間や食堂、寝室や個室など壁で閉じられた部屋の集合ではなく、車家のように障子などで間仕切られたり、家具などで分けられたスペースの集合だとして各々のスペースの分節のしかたを工夫するならば、住まいはもっと自由になることができるのではないかと考えるのです。すなわち、プランを考える際には、まずは住宅を部屋の集合というよりもスペースの集合と考える方がよい。

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i house 設計:横山敦士 1998

ところで、上の家は、家の中心に土間を据えて、 左も右も、上も下もスペースを互いに結んで、家族がどこに居ても気配が感じられることを意識して作られたように見えます。 これは車家の障子と同様に、壁とドアではなくブラインドという可動間仕切りのなせるわざです(必要な時は、ガラス戸も用意されている)。

ただし、繰り返しますが、軽い間仕切りは素晴らしいけれど、住まい手の生活によってはそれだけでは不足の場合も出てくるはずですから、「こうでなければならない」という教条主義、形式主義になってはつまりません。念のために言うなら、これはプライバシー優先主義についても同様です。

寅さんに学ぶ住まい学・05—寅はどこで靴を脱ぐか

車家ではとらやから出入りするのがふつうですが、当然お店には靴箱はありません。それでは、靴はどこで脱ぐかと言えば、……。お店とつながった通り土間、茶の間の前ですね。ここには2階への階段も接しています。


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第4作「新・男はつらいよ」 とらや入口

さて、あなたの家はどうなっているのでしょう?たぶん玄関に入ったところ(三和土と書いて、たたきと読みます)で靴を脱いで、靴箱に入れて(あるいは、そのまま?)、少し高くなった玄関ホールに上がることになるのではありませんか。だいたい、靴を履いたままのところと脱ぐところには段差があるのが一般的です。

これは日本が高温多湿であることから、床下の通風をよくして湿気を逃れようとした工夫の名残。今は、材料や技術の進歩によって床下の通風は必ずしも必要ではなくなりました。ただ、靴を脱いで過ごす暮らし方は変わりません。


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第1作「男はつらいよ」 土間と茶の間の間

とらやと車家の場合は?土間と茶の間の間には50センチメートルばかりほどの差があります(先に述べたような理由で、わが国の伝統的な住宅はこうした高床式です)。腰掛けるのにも、上がり込む時にもちょっときつい高さですね。これを解消するために、茶の間から少し下がったところにもう一段板張りの床、というか台があるのです。これで、腰掛けるのにも上がるのにも不自然じゃなくしているわけです。

だから、裏から飛び込んできたタコ社長は靴を脱がずに(つまり上がり込むことなく)、茶の間のおじちゃんやおばちゃんと話し込むことができるのです。

室内でもなく、かといって外部でもない、曖昧で中間的なこの部分をそのまま中間領域と呼ぶことがあります。中間領域には土間のように屋内の空間から屋根や庇、あるいは壁にかもまれた外の空間まで、その囲まれ感の強さによって室内的な感じが強いものから屋外的なものまでさまざまありますが、先に見たように使い方にも幅をもたらしてくれるのですね。「男はつらいよ」シリーズでもたいてい(ほとんどすべてと言ってよいと思いますが)寅次郎やおじさん、おばさん、そして博とさくらの夫婦、さらにはタコ社長をはじめとする近隣の人々のさまざまな喜怒哀楽の場面の舞台として登場するのです。


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is house 設計:横山敦士 2006

ところで、上の写真は以前にも取り上げたことのある家ですが、ここには三和土と玄関ホールの間に段差がありません(いわゆる玄関がない、と言ってもいい)。靴は瓦風のタイルが敷かれたリビングの手前のマットのところで脱ぐようですが(境には引き戸が吊られています)、これに続くリビングが「上足の土間」としてとらえられているのですね。そのため、リビングと接するダイニング・キッチンは異なる材料(マツのフローリング)で仕上げられています。

三和土と玄関ホールの床の高さを変えて分けるやり方も当然検討されたはずですが、家の中に入った時の気分が、たぶん、違ってくるだろうと思います。また、ガラス戸を開け放つと同じ素材で仕上げられたテラスと一体となって、いわば屋内でありながら外のようでもある空間へと変わる。屋内の土間で家の中に外部をゆるやかに引き込もう、という意図があったに違いないと想像するのです。
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